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第1回「灘の酒と歴史」

【当日の様子】
競争率2.7倍の難関(?)をかいくぐって無事入学された59名の参加者は、まさに“老若男女相集い"といった賑やかな雰囲気です。特に今年は女性の参加者が初めて過半数を占め、妙齢の女性はもちろん、中にはご高齢のご婦人二人組の姿も。
前半が講義、後半がきき酒実技で構成されますが、過去二期とも実技では女性陣が上位を占めました。何事に付け女性上位の昨今、今年度も果たしてその再現となりますかどうか・・。
日時:2000年10月4日(水)18時30分より
会場:(株)神戸酒心館ホール(詳細はこちら)
講師:(株)神戸酒心館副社長 豊澤慶一氏

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【灘五郷とは】 |
「灘」とは元々潮の流れの早い海のことですが、酒業界では通常、清酒の主産地である神戸市東部から西宮市今津に至る大阪湾に面した東西約12kmの沿岸地帯を指します。
「灘」の名が初めて文献に登場するのは正徳6年(1716)のこと。以来幾多の変遷を経て今では●西郷●御影郷(中郷)●魚崎郷(東郷)●西宮郷●今津郷の五つを「灘五郷」と総称しています。
全国には休眠蔵を含め2134の酒蔵がありますが、灘五郷42蔵だけで全国シェア(課税移出数量)の3割近くを占めています。

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【酒造りin古代】 |
日本の酒造りは縄文期に始まったとされ、原料はヤマブドウ等の木の実やアワ・ヒエ等の雑穀類と言われています。木の実は自らの糖分で自然発酵しますが、雑穀はデンプン質なので、まず糖化させないとアルコール化しません。糖化の手段には“口噛み”が用いられ、主に若い女性の役割でした。“かもす”は“噛んで造る”から来た言葉であり、古代の酒造りの主役は女性だった訳です。ちなみに酒造りの現場監督を指す杜氏という言葉も、老母・主婦・年長けた夫人を指す「刀自」から来ているとのこと。

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【灘酒の発展】 |
江戸時代初期は伊丹、池田が酒の主産地でしたが、徐々に灘が台頭。元禄10年(1697)には64万樽が江戸に送られたとの記録が残っており、18世紀後半には、江戸積上方荷主の自主連合組織である「摂泉十二郷」の中心的存在となるまでに発展しました。
ちなみに灘・池田・伊丹は全て上方だったため、江戸に送る酒は「下り酒」と呼ばれました。つまらないものを表す“くだらない”という言葉は、良質な灘の酒と違い「(江戸に)下らないほど質の良くない酒」というのが語源だとの説があります。

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【宮水の発見とその特性】 |
「西宮」の水ということでその名が付いた「宮水」は、天保期に「桜正宗」の祖である山邑太左衛門が、西宮の水を魚崎の蔵に運んで仕込水として用いたところ、酒の質が明らかに向上して江戸で人気を集めたことから、灘の酒造家の間に使用が広がりました。
リン酸塩やカリウムが多く含まれた硬水で、逆に酒造りの大敵である鉄分はほとんど含まれません。
余談ながら宮水は生で飲むと非常においしいですが、沸かすとダメになりますから、コーヒーやお茶を入れるのには向いていないようです。

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【水車による精米】 |
六甲山を下る急流を利用した水車精米をいち早く取り入れたことも、灘酒興隆の要因の一つです。水車の利用により一定時間に大量の米が処理できるようになり、精白度も高くなるのでキリッと旨い酒造りが可能になりました。
明治中頃が水車精米の最盛期で、最大規模を誇った住吉村では、水車場80余、従業員約1000名に及ぶ時もあったそうです。そして水車は、酒造りのない春の彼岸から秋の彼岸にかけては、田畑用として利用されていました。

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【丹波杜氏】 |
勤勉な丹波杜氏の労働力が得られたことも、灘酒発展の大きな要因です。酒造りの季節になると杜氏さんが一族郎党を引き連れて蔵へ入り、約百日間酒造りに勤しむことから、蔵人さん達は別名“百日さん”とも呼ばれました。
蔵人とは酒造に従事する季節従業員の総称で、参考までに旧名称と現在の名称を比較対照させると次の通りです:
杜氏→杜氏
頭(かしら)→杜氏補佐
衛門(えもん)→麹主任
もと廻り→酒母主任
釜屋→蒸米係
道具廻し→整備係
上人(じょうびと)・中人・下人→係員

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【きき酒のコツ】 |
締め括りに、きき酒の上手な手順についての解説がありました。
- 色を見る。「いきなり飲んじゃダメ。きき猪口の底にある藍色の渦巻を使ってまず酒の色を見ましょう。」
- 香りをかぐ。「ことさら鼻を酒に近づけなくても、猪口のふちから香りが立ち上ってきます。」
- 口に含む。「量は4〜10mm位、常に同じ分量だけ含むのがコツ。その時に口から鼻に抜ける香りも確かめます。」
講師のアドバイスを受け、参加者は「本醸造・純米・純米吟醸・大吟醸・低アルコール酒」の5種類のきき当てにチャレンジ。
きき酒というより飲むことを楽しんでいる(?)かのような男性陣と違い、女性参加者の多くが最後まで居残って真剣に取り組む姿が印象的でした。

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